つい廃がついったを超えて

ツイ廃が140字以上ペラペラしゃべるブログです。

夢を見た日のはなし

待ちに待った週末が来た。アリエッティを見るために実家に帰ってきた。実家に帰ると昔のことを色々と思い出す。この前は夢を諦めた日の話をしたから、今日は夢を見た日の話をしようと思う。中学生のときの話だ。

 

中学3年生のとき、私は関西へ引っ越してきた。

同じクラスにいて声をかけてくれた子が「同じ部活入ろうよ」と声をかけてくれたので、その部活に入ることにした。

 

そこには不登校の子がいた。

引っ越してくる前の学校では不登校ってあんまりいなかったような気がする。当時不登校というワードに持っていたイメージは「お先真っ暗」だ。今思えばとっても失礼なことだが、私はあの頃かなり世間知らずのお嬢さんだった。不登校の人は成績が悪くて高校に行けないから普通の人生は送れないと思っていた。

 

部活に誘ってくれた子繋がりで不登校の子にも仲良くしてもらっていたので、勝手に「どうにかして学校に来させた方がいい」と思っていた。仲の良い人が普通の人生を送れないなんて良くないことだと思った。

 

そこから、朝待ち合わせをして一緒に学校へ行ったり、一緒に帰ったり、勉強を教えたりした。通知表を見て、成績が上がっていたら喜んだ。夏休みの補習に行かなかったと聞いた日は怒った。

 

今思うとかなり危険なことをしたと思う。私はその子がどうして学校に行かなくなったかを知らない。今も分からない。デリケートな問題にこんな見切り発車で向き合うのは絶対NG!まぁあの時は同級生だったから良かった。良かったか?わからんけど。

 

運良く私の学校へ行こう!勉強をしよう!というアプローチが成功し、その子はぽつぽつ学校に来るようになった。テストも、今までは笑っちゃうくらい悪い点数だったのに、平均点取れる科目があったりして、先生たちにも「たいらさんのおかげだよ」と褒めてもらったりもして(?)、私は嬉しかった。

 

それまでも、何となくぼんやり「アナウンサーになりたいな、無理なら国語の先生になりたい」と思っていたのだけれど、その子が学校に来るようになったあたりから「アナウンサーまたは国語の先生になりたい!!!」とはっきり思うようになった。学校に来られない生徒が学校に来られるようにしたいな、誰かの人生をより良いものにできる先生になりたいな、と思った。今思うと「より良い人生」ってなんだよって感じだけど…。あと国語の先生が好きだったから自分もなりたいと思った。単純。

 

その子とは別の高校に進学したのだが、高校生になって最初の通知表を見せてもらった記憶がある。ちゃんと学校行ってるの、と聞いたら、行ってるよ、と返ってきた。成績も、初めて見せてもらったものより格段に良くて、嬉しかった。

 

高校を卒業して、私は先生になるために教育大へ進学した。色々学んで考えた結果、先生向いてないな〜とだんだん思うようになって、先生になるのはやめようと思った。教えるのも下手だった。でも、成人式で偶然その子に会ったとき、教育大に行ったけど先生になるのはやめる、と言ったら、自分を更生させられたんだから大丈夫だよ、と言ってくれて、ちょっと嬉しかった。

 

1年くらい前に駅でその子とすれ違ったとき、スーツを着ていてびっくりして険しい顔をしてしまった。ごめんね。まぁもう不登校にはなってないようで良かったです。おしまい。